「さんま離れ」民法バラエティ各局にみるの功績

明石家さんま
出典:http://search.yoshimoto.co.jp/
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上記は現在も高視聴率をキープしているバラエティ番組だが、業界関係者の間では水面下で若者のバラエティ離れは確実に拍車が掛かっていると囁かれている。

私自身、2009年〜2013年までテレビ離れをしていた。
再びテレビを観るようになったのはTBS系ドラマの「半沢直樹」を観たのがきっかけだったが、そんな私自身をバラエティ離れに導いたエピソードがある。

今から遡ること2013〜2014年前。当時、行きつけだった東京都千代田区のラーメン店で激辛ラーメンを食していた時のこと、店内に設置されていたテレビでのトーク番組で、明石家さんまがスタジオに招聘されたゲスト達との間で盛んにトークを繰り広げていた。

近くの席でそれを観ていた大学生と思しき二人組が心底煩わしそうに
さんまは本当につまらないし、何が面白いのかさっぱり分からない。あいつより絶対に俺らの方がおもしろい
と、何やら殺伐とした雰囲気で画面の中の明石家さんまに対して苦言を呈している。

それもそのはず、夢、可能性、希望、活力、生命力、若さ、瑞々しい美貌に加えてシャワーを浴びれば水を弾くようなモチモチ肌をも兼ね備える毛並みの良い10代の学生にとって、芸能人という存在など所詮は他人事だろう。

「明石家さんま」は若者にはウケないのか

若年層が尊敬すべきはあくまでも自分であって、芸能人や上司などでは断じてない。人に媚を売るのは、まだまだ先の話だ。
それはそれとして、何故それほど特定個人に不快感を露わにできるのか、当時はてんで理解不能だったが、おそらくはマンネリ化というのか、度重なるさんまの引き笑いやいつもと変わらない一本調子を目の当たりにしているうちに、いつしか若者達の臨界点を超えていたのだろう。

なぜアイツが笑っていて俺らは……。
悪口とは、そんな隣の芝生に対する妬み嫉みの裏返しというのが定説としてある。
そしてそういった場においては、テレビを観ているというよりは、むしろ一方的に見せつけられている感が強い。

私自身、空穴だった当時は匹夫の勇の如く慇懃無礼の限りを尽くして遮二無二よしなし事を繰り広げるさんまを長時間見ているうちにうんざりしてしまっていた節もあった。
何はともあれ、心の隙間に入り込んできたような見知らぬ第三者間によるさんま批判で私はいとも簡単に「バラエティ離れ」できてしまったはずだった。

ところが、それはバラエティ離れではなく単なる「さんま離れ」に他ならなかったのである。
詳しい番組名までは伏せるが、さんまの出ている番組を観る機会が減った代わりに他の番組を観るようになりバラエティ離れどころかバラエティを観る機会そのものは目にみえて増えてしまったように思う。

結局、私のようなメディアリテラシーの低い愚か者が存在し続けている限り、いくら凋落の兆しこそあれど下世話なバラエティ番組は今後もなくならないだろうし、テレビがないと生きていけないという杜撰な人間は数多くいる。

本当に若者のテレビ離れは加速しているのだろうか

民放のバラエティ部門は今、国の人口増加や生き方の多様化というのも背景にあり、10%も視聴率が取れればまずまずとされているようだが、実際のところは視聴者層が推移しているのみで、一定数の視聴者は今も変わらず恒常的に確保できているような気がする。

なんにせよ痛烈な芸能人批判を目の当たりにしたことでバラエティの存在意義というものを深く考えさせられた瞬間でもあった。
いまだ受け身の媒体として根強いテレビだが、ネットやゲームと同様、長時間観ていれば頭がおかしくなり、やがてはモノを考えられなくなる危険性も孕んでいる。

しかのみならず、どうやったところで個人が自由自在に情報を発信・取捨選択できるネットには叶わないという価値観が定着しつつある昨今、かつての若年層が精神的な成熟を遂げていく中で、とうに全勢期を過ぎたさんまは今もかつての勢いそのままに自身の冠番組内で嬉々として喋り倒している。

それこそが当時における明石家さんまという人間の凄みであり魅力だったのかもしれない。

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明石家さんま